レーシックの安全性は非常に高いブログ:14年08月02日
未熟児で生まれたボクは病弱で、
小学校に入るまでは病院と縁が切れず、
入退院をくり返していた。
歌が得意なボクは、
ベッドの上でおもちゃのピアノを叩いては歌い、
看護婦さんにアメや板チョコをもらっては、
上機嫌だったとママに聞かされた。
「三つ子の魂百まで」と言うけれど、
ボクのピアノ好きはその頃から始まったらしい。
ボクは戦後の混乱の中で小学校に入学した。
先生のピアノ伴奏に合わせて歌いながら
ボクもピアノがほしい、
弾けるようになりたいとずっと思っていた。
しかし敗戦後の衣食住にもこと欠く時代のこと、
バラック住まいのボクの家にピアノは高嶺の花だった。
ボクが高校生になって間もない頃、
同じコーラス部に席を置く仲間の家に遊びに行った。
応接間に黒塗りのピカピカのピアノが鎮座し、
仲間が「弾いてもいいよ」と鍵を開けてくれた。
ボクは学校にある壊れかけたオルガンで練習していた
「春の小川」を両手で弾いてみたが、
ボクの春の小川はさらさら行かなかった。
仲間の家で恐る恐る触れた鍵盤のひんやりと冷めたい感触と、
お腹にズンと響く重い音が、ピアノへの憧れを一層募らせた。
興奮さめやらぬボクは
その晩、親父にピアノを買ってほしいと懇願した。
親父は一瞬、困惑した表情をみせたが…
「この狭い家にピアノを置く場所が何処にある。
ピアノを弾く暇があったらもっと母さんの手伝いをしろ!」
吐き捨てるように言うと
親父は乱暴に障子を開け部屋を出て行った。
ボクは唇をかみしめ、
親父の少し痩せて小さくなった背中を見送った。
それ以後、ピアノの事は一切口にしなかった。