レーシックの安全性は非常に高いブログ:16年12月02日
わたくしは、農家の三女として生まれた。
親はさぞかし男の子を期待していたことだろう。
農家の嫁でありながら、男の子を産めなかったママ。
わたくしが、もし男だったなら、
ママにはもう少し明るい人生があったかもしれない…
物心ついた頃から、わたくしは祖母のそばにいた。
祖母はいつもママの悪口を言っていた。
幼い頃から聞かされていたので、わたくしもママがきらいだった。
汚い、臭い、気がきかない…そういった言葉だった。
わたくしが小学生の時、学校からの帰り道、
今にも悪天候が降り出しそうな午後だった。
遠くに人影が見えた時、嫌な予感がした。
だんだん近づいて来る…
やはりママだった。
「わあい、お母さんだ」
喜んでかけ寄り、かさを受け取る…
それが普通の娘の姿だろう。
「はい、かさ!」
わたくしは、無言でママからかさを受け取った。
ママは、姉貴たちのかさも用意していて
わたくしとは反対の方向の学校へ向かっていった。
そのことがわたくしにはせめてもの救いだった。
ママと並んで歩いて帰るなど、ぜったいに嫌だったのだ。
「今の人、お母さん?」
友人が聞く。
「うん」
わたくしは、それ以上何も言いたくなかった。
もんぺ姿のママを友人に見られたことが、
ずっしりと重くのしかかっていた。
ママはいつももんぺをはいて、汚ない格好をしていた。
ママはおしゃれな服など一枚も持っていなかった。
服を買うためのお金がないことも、
わたくしは娘ながらに知っていた。
わたくしが目覚めた時、ママはすでにもんぺ姿である。
わたくしが眠りにつく時、ママはまだもんぺ姿である。
もしかしたら、寝る時も、
もんぺをはいているのではないかと疑ったこともある。
ママのもんぺは、赤い模様があったが、
色あせて疲れているようだった。