レーシックの安全性は非常に高いブログ:21年01月11日
父親はぼくを厳しく育てました。
小学生の時、少年野球をしていましたが
毎日、スパルタで特訓を受けていました。
それはもう練習というよりは修行の様で
家の中で晩遅くまで特訓の日々が続きました。
父親が投げた新聞紙で作ったボールを
連続でバットの芯に当てないと眠らせてもらえない…
父親の投げたゴロを100球連続で捕らないと眠らせてもらえないのです。
1球でもはずせば、また一からやり直し。
最後まで気が抜けず、はずすと怒られました。
当時のぼくは
「完璧でないお前はダメだ」と言われているように感じていました。
そんな父親は早くに親を亡くし、
親戚の家を転々として幼少期を過ごしてきました。
厳しい中で頑張ってきたのだと思いますし、
心のどこかで「完璧じゃないと自分は見捨てられる」
そんな思いもあったのかもしれません。
楽しんで始めた野球でしたが
プライドはズタズタにされ、野球を楽しむということも忘れてしまいましたし
20歳を過ぎるまでぼくは父親のことを
どこか恨んでいたと思います。
だから物心ついた頃には年上の男性、
いわゆる上司という存在は
いつもぼくのことを厳しくジャッジする人というイメージがついていました。
全員と言うわけではないのですがやはり上司の前では緊張し、
あまり本来の自分を表現できなかったと思います。
でも、本当はもっと父親に褒めてもらいたかったのです。
ファインプレーをしたときに
「良くやったな」と頭を撫でてほしかったのです。
しかし、父親は照れくさかったようです。
大人になってから、そのことに気付き始め、
その頃から、
「ただ父親はぼくに冷たくしたわけでもないのかもしれない」 と
父親の気持ちを察してみるようになりました。