何よりもクリニックのサポート体制に注目ブログ:14年07月13日
一昨日、全く連絡のなかったパパから
突然、電話がかかってきた。
電話の向こうから
酔いに任せ怒鳴るパパの声が響いた。
「母をどこにやった!」
…頭がクラクラする。
立っているのが精一杯で、
あたしは受話器を握る手に必死の力を込めた。
「知らないものは、知らないとしか言えません。…失礼します」と、
あたしは事務的に振舞ったが、受話器を持つ手はガタガタと震えていた。
電話を終えた直後、あたしは激しい嘔吐に襲われた。
溢れ出る涙と、遠い記憶の中でそのままうずくまり、
しばらく立ちあがることができなかった。
家族という枠の中で、
幼いあたしは息をひそめているのが精一杯だった。
死に怯え、生きていることが怖く、
眠れない夕方を幾度となく過ごした。
パパと母は20年前に正式に離婚している。
それでもパパは家に出入りしては
日本酒を飲んで暴れていた。
10年前からは、母は心を病んでしまった。
何も手につかないパニック障害とうつ病と診断された。
入退院を繰り返しながら、
現在は病院に隣接する施設にお世話になっている。
長年にわたり溜め込んだストレスに、心も体もに疲れている。
母をパパと会わせる訳にはいかないのだ。
「お前を産むつもりはなかった。
パパに強引にされてできたお子様だ。おろすわけにいかず産んだだけ」
売り言葉に買い言葉で言ったのかもしれないが、
母が発した一言が今でも忘れられない。
「お前はパパにそっくりだ」と母に言われる度に、
体の中に流れる血を全部捨てたい衝動にかられた。
…それでも、
あたしは、パパの陽に焼けた顔とごつごつした手が誇りで、
母の歌ってくれる歌が安らぎだった。
そんな日が確かにあって、
今もどこかでパパと母を心から憎むことができないでいる。