何よりもクリニックのサポート体制に注目ブログ:16年09月16日
ミーの家は1年中、
お父さんの知らない秘密でいっぱいだった。
母と姉貴とミーは、
クリスマスも誕生日も雛祭りも、
ショートケーキを囲み歌を歌い写真を撮り、
イベントはきちんと三人で迎えてきた。
ミーと母が、
また、姉貴と母が冷戦状態であっても、
お父さんが家族の出来事に
口を挟むことは殆どなかった。
仕事やつき合いで
いつも午前様か単身赴任だった生活も、
ようやく落ち着いた頃には、
もうむすめ達は部活や試験や遊びに忙しい学生になっていて、
家族みんなで食卓を囲むこともあまりなくなっていた。
そして就職、独立、結婚…
ますます距離が離れてゆくむすめ達に、
これが一般的なお父さんとむすめのスタンスだと、
お父さんの方も割り切っていたのかもしれない。
「ちょっと具合が悪いらしいの」
母から電話を受け実家に行くと、
お父さんは布団の中から出ようとしなかった…
相変わらずの病院嫌い。
必死の説得で、
やっとのことで病院へ行かせると即入院となり
「ご家族の方は覚悟を決めるように」
という厳しい言葉までいただいた。
難波の姉貴も呼び戻され、
母は何度も
「好きに生きてきたんだから、いいよね」と言った。
入院した当初、ミーがお見舞いに行っても、
お父さんは全く起きあがる気配すら見せなかった。
病室を出た後は毎回、
これがお父さんの姿の見納めなのではと不安になった。
そんなお父さんが、
初めてミーの息子達を病室に連れて入った瞬間、
電気のスイッチを入れたような輝きを放った。
お父さんは身体をゆっくりと起こし、
そして短く「おっ」と言った。
昔、新聞を読んでいるお父さんが顔をあげて、
ミーの運んだ晩酌のビールを見つけた時のあの顔だった。
息子達との穏やかな空気に包まれて、
何と幸せそうな様子だろう。
もちろん、それからミーの見舞いは必ず「孫持参」となった。